tetsugaku-nikki

何も知らないことを知っている私が、初めて哲学の扉を開けて、知ったこと、思ったことを綴る不定期な日記。

JKの哲学日記#1 [良い行いってなんやねん]

〜過去のメモより〜

7. Dec. 2023

 

今日はイマヌエル・カントにとって良い行いが何だったのかを知った。

まだ、カントについてちょっとしか知らないけど、この人面白い。

表題

私たちは良い行いと悪い行いをする自由がある(i.e.両方ができる環境にいる)

じゃあ、良い行いとは?何が問題で悪い行いになる?

脳内回路

え?そんなに考えなくても、何が悪いかとか、何が良い行いかとかって、なんとなくわかるけど? え…でも定義しろって言われたら…確かになんていえばいいんやろ…暴力はだめ、人に優しくする、とか?自分の語彙力弱ぁ…

内容

それじゃあ、ひも解きやすくするために一旦、プラトンアリストテレスの決定的な違いの一つとして、アプリオリかアポステリオリかって習ったし、それ考えてみよう。(✔️ん?って思った人下へスクロール!)

 

例えば、どんな理由であれ、何の罪もない子供たちがガザで空爆に遭っていることはアプリオリに間違ってるよなぁ… (そんなのやってみなくてもわかるわ!)

じゃあ、友達に誕プレあげて喜んでもらうのは? 良いことに決まってるよな…

これも別にプレゼントをもらったことがある人たちの感想のアンケート結果をもとにしてるとかじゃなくて、あたりまえってかんじ。じゃあアプリオリか…

 

じゃあ、この「良いこと」と「悪いこと」の決定的な違いってなに?

お、いろんなシチュエーションを考えてみると、ちょっとずつわかってきたような…でも この価値観って当たり前だからこそ、今まで何がきっかけで善か悪か判断していたのか説明が難しいな。何か決定的な要因はないかな…

 

そこで!カントはえぐいことを言うわけです。準備おけ?

 

 

人を決して手段として扱ってはいけない。目的として扱うべきだ。

 

 

なるほどー!さっき言った例も、決定的な違いは相手をどう言う風に思って扱うかじゃね?

そっかプレゼントをあげる相手を目的として考えているのか。ある意味相手が、私の相手への気持ちのゴール地点だから喜んでもらえるんじゃないかな?逆に、何の罪もない子どもたちは政治や宗教、利益を目的としている人たちに、手段としてみられているんだ。誰もその子達の幸せをゴールとして考えていないんだ。

これは確かに的を得た考え方だなー。現代社会でも、大体利益しか考えてない人たちが、他の人をただの手段としてしか見てないよね。そして、いかに他人を大きなシステムの一部品として働かせられるかが、権力につながっている。だから、争い事も起きるし、誰も本当に相手のことを見ていない感じがするんだよな…これが、カントの言うようにみんな相手を目的として見始めたらどうだろう。きっと、より良い関係がそこらじゅうに溢れるんちゃうかな。

 

とりあえず今日はここまで。こうして、私はカントの世界への扉を叩いたのであった。実はこの考え方にもツッコメるところがあるってことを知ったのはまたの機会のお楽しみにしておこう。ここまで読んでくれてありがとう。君はどんなことを思った?

 
✔️ ん?アプリプリオr..?!って思った人へ

ア・プリオリ:[ラテン語 a priori より先のものから]

「先天的」って意味で習うけど、詳しくはカント以降の哲学、生物学、心理学などでは「経験に依存せず、それに先立っていること

例えば、「コイントスで投げたコインは50%の確率で表になる」は私みたいな個人の経験や感覚とは関係なくそうである。i.e.コイントスでコインが表になるのは、アプリオリに50%の確率であるってかんじ!

ア・ポステリオリ:[ラテン語 a posteriori より後なるものから]

これはアプリオリの対義語で「後天的」って習う👨‍🏫けど、近代では「経験に基づく」っていう意味。

例えば、「このスタバの新作まじ美味い」は私の経験と私の味覚とか嗅覚に基づいてるよね。

 

P.S. 近代認識論の目安の一人になってるカント、すごすぎだろ